第105話 技巧化するリフレイン
アルフレッド・テニスン『姉妹』 
(Alfred Tennyson, “The Sisters”, 1832)

 ロマン派詩人にして桂冠詩人ワーズワースによって折り紙を付けられ、ヴィクトリア朝詩人にしてワーズワースの後継桂冠詩人となったテニスンによって自家薬籠中のものとなったバラッド詩は、19世紀の多くの詩人たちが模倣の技を競い合うタイプとして定着していった。伝承バラッドの様々な技法の内でも最も分かり易い技法はリフレインを含めた「繰り返し」の技法である。

スコット編纂のMinstrelsy三巻を諳んじていたというテニスンが、そこに収録されていた"The Cruel Sister" (="The Twa Sisters", Child 10C; 第17話参照)を念頭に今回の作品を書いたことは明白である。伝承の歌では、一人の男性をめぐる姉妹の確執から、殺された妹が竪琴に変身して犯人を暴露するという事件が、最初から最後まで変化しない「ビノリー ビノリー/きれいなビノリーの水車のほとり」というリフレインで包み込んでうたわれ、伝承歌独特の叙情性を生み出している。それに対して詩人テニスンは、事件の複雑性に呼応すべく二種類のリフレインを駆使して見せるのである。「辱め」を受けて死んだ妹の復讐に姉が男を殺す、しかも、姉はその男を愛していたというのである。詩は最初から最後まで姉の独白で展開する。

わたしたちは 血をわけた姉妹でした
妹の美しさは わたしをはるかに凌ぐものでした
  風が塔と樹立ちのなかを吹いている
妹は彼と密かに逢ううちに 辱めをうけました
だから復讐が わたしに当然の義務(つとめ)になりました
  ああ 伯爵は見るも美しい方でした!

We were two daughters of one race:
She was the fairest in the face:
  The wind is blowing in turret and tree.
They were together, and she fell;
Therefore revenge became me well.
  O the Earl was fair to see!

tennyson sisters
From oldbookillustrations: The wind is roaring in turret and tree.

3行目の「風が塔と樹立ちのなかを吹いている」と、6行目の「ああ 伯爵は見るも美しい方でした!」という二種類のリフレインがこの独白を貫いている形である。第一スタンザの「風が塔と樹立ちのなかを吹いている」("The wind is blowing in turret and tree")と始まったリフレインは、妹の復讐に男を待ち伏せする段階で「風が塔と樹立ちのなかを唸っている」 ("The wind is howling in turret and tree")と変化し、男の誘惑に成功した段階で「風が塔と樹立ちのなかを轟いている」 ("The wind is roaring in turret and tree")となる。しかし、膝を枕に男を眠らせ、その赤らんだ頬を眺めていると、彼を「悪魔のごとく」憎んでいながら、でもその美しさを「天使のごとく」愛していたと告白するのであった。その時は、「 風が 塔と樹立ちのなかを怒(いか)り狂っている ("The wind is raging in turret and tree")と表現される。独白をしている今、外を吹いている風をうたっているかも知れないが、短時間での風の変化は、告白者の葛藤を風に託して表現していると受け止められよう。意を決して、短剣で男を突き刺した時の風は、「・・・塔と樹立ちのなかを荒れ狂っている ("The wind is raving in turret and tree")と表現される。そして最後に、死んだ男の髪を梳き、死体をシーツに包んで母君の元に差し出したと言って独白を終わる最終スタンザでは、吹く風は出だしと同じ「風が 塔と樹立ちのなかを吹いている」 ("The wind is blowing in turret and tree")と治まってゆくのである。このように少しずつ変化する繰り返しを「漸増的繰り返し」('incremental repetition')といって、その素朴な形は伝承バラッドにも存在する。しかし、事件の経過に沿った劇的な効果を重ね合わせた「変化するリフレイン」を駆使する詩人は、ここで細かい細工を施す。他がすべて事件を語る過去形表現であるのに対して、この様々に吹く「風」だけがすべて「現在形」で表現されていることである。明らかにこの風は、事件を語っている「今」吹いているのであり、恐らく語り手は、館の塔の窓越しに、むこうの木立の中を吹き荒れる真夜中の風を見つめているのだろうか。そして、実際には、窓のむこうの風はきっとこのひと時、同じ強さで吹いているだろう。'blowing'と始まって、'howling'→'roaring'→ 'raging'→'raving'と変化し、そして最後に、独白の終りとともに再び'blowing'と収束するこの風の吹き様は、事件を思い起こして語るにつれて語り手自らの心の中を吹き抜けてゆく感情の嵐であろう。外側の風景と心の中の風景(=心象)を微妙に重ね合わせて劇的な効果を狙ったテニスンの計算が十二分に窺えるのである。

いま一つは、各スタンザの最後に配した 「ああ 伯爵は見るも美しい方でした!」('O the Earl was fair to see!')という、一人の男性をめぐる姉妹の確執を暗示する「変化しないリフレイン」である。そして、この最後まで変化しないリフレインが、先行する「変化するリフレイン」と重なって生み出すものは、やはり、「今」この事件を語っている語り手の「感情」そのものなのである 

ひとくちアカデミック情報
「漸増的繰り返し」:'incremental repetition'. 伝承におけるこの種の技法は、形式的には大変素朴でありながら、その効果は見事であると思えるものが多い。一例を挙げると、同じスコットのMinstrelsyで紹介された"The Douglas Tragedy" (="Earl Brand", Child 7B; 第20話参照)での二つの場面である。駆け落ちしてゆく恋人たちの場面は次のように表現される。

 マーガレットを白い馬に乗せ
   ウィリアムは葦毛(あしげ)の馬に乗り
 角笛を腰にぶらさげて
   軽やかに 二人は駆けて行きました

 He ’s mounted her on a milk-white steed,
       And himself on a dapple grey,
 With a bugelet horn hung down by his side,
       And lightly they rode away. (イタリック筆者)

他方、追ってきた女の家族の者たちとの決闘の後に逃げのびてゆく場面は次のように描かれる。

 マーガレットを白い馬に乗せ
   ウィリアムは葦毛(あしげ)の馬に乗り
 角笛を腰にぶらさげて
   ゆっくりと 二人は馬でたち去りました

 He ’s lifted her on a milk-white steed,
       And himself on a dapple grey,
 With a bugelet horn hung down by his side,
       And slowly they baith rade away. (イタリック筆者)

‘lightly’と‘slowly’という二言のみの変化で、片や高揚した気持ちを伝え、片や重い足取りを見事に表現しているのである。