第78話 「お墓の上で踊ってあげます」
『栗色娘』 ("The Brown Girl", Child 295B)


一つ一つの言葉に細かくこだわるのではないが、話の内容が似ているとか、あるいは、対照的であるという話題をもう一つ、しかしここでは、類似性を乗り越えた「独自性」(オリジナリティ)を紹介することが眼目である。

語り手「わたし」が、恋人から捨てられる。手紙を寄越して、「もうおまえを愛していない/おまえがあんまり栗色だから」と言って、別の「色白娘」を選んだというのである。気の強い「わたし」は、手紙を送り返して、「あなたの愛などどうでもいいわ/わたしを好こうと好くまいと/そんなことなど知ったこと」と言い返す。六か月が過ぎた頃、元気だった恋人が病の床に伏す。医者にも治せない痛みに苦しみ、栗色娘だけにしか彼の命は救えないと、人を寄越して助けを求める。恋やつれして弱り果てた恋人の寝床の側にやって来た「わたし」は、げらげら大笑いして、「よくもわたしを馬鹿にしたわね/わたしのほかにも多くの女を/とうとう これが報いなの/今までにしてきたことの全部の報いよ」と言って、指輪と愛の誓いを返す。重ねて赦しを求め、もうしばらくの間でも生かしてほしいという恋人に、「生きてるかぎり/忘れることも 赦(ゆる)すこともありません/青草茂るお墓の上で踊ってあげます/その下で やすらかにおやすみなさい」と突っぱねて、この小気味好い歌は終わる。

Child 295B brown girl bt
陣内敦 作

『栗色娘』というタイトルからして、ただちに『ロード・トマスと色白のアネット』("Lord Thomas and Fair Annet", Child 73A;第22話参照)を思い起こすだろう。そこでは、栗色娘の方が金持ちだという理由から、色白のアネットは恋人に捨てられた。トマスと栗色娘の結婚式にアネットが現れて、再びトマスが心変わりして悲劇が起こる。心変わりした男が、捨てた女に呪われて死の床に臥し、赦しを求めて使いを寄越す話は『バーバラ・アラン』("Bonny Barbara Allen", Child 84A; 第23話参照)そっくりである。バーバラ・アランも今回の栗色娘も、自分を捨てた男を赦さない。杖を使って愛の誓いを返すという行為(『ウィリアムの亡霊』("Sweet William's Ghost", Child 77B;第61話参照)は、愛の誓いの返還を魔術的に演出する一種の儀式で、片方が死ぬ場合には必ず返還するというけじめをつけることで、その生前の契りが決していいかげんなものではないということを示すのである。

このように話が似ていたり対照的であったりする一方で、この歌の独自な所はやはりその終わり方である。『ロード・トマスと色白のアネット』では、死んだトマスとアネットは植物に変身して結ばれる。『ウィリアムの亡霊』では、愛の誓いを変換したマーガレットであったが、結局死んだ恋人の墓の中で一緒に眠る。最後まで男の裏切りを赦さなかったバーバラ・アランも、最後は、後追いして自分も死んでゆく。いずれも、伝承バラッドならではの定番的な終わり方を踏襲している。それに対してこの『栗色娘』では、裏切りに対する復讐が徹底しているのである。自分が生きている限り赦すことはあり得ないと断言し、恋人が眠っている墓の上で、死を祝福する踊りを舞ってやると言うのである。こちらの方が、より現実的と言えるだろうか。


ひとくちアカデミック情報:            
青草茂るお墓の上で踊ってあげます:  'I 'll dance above your green, green grave'. 'Someone is walking on [across, over] my grave'というのは、わけも無くぞっと身ぶるいする時に言う慣用句だそうだが、'dance on someone's grave'というのも、相手の死を喜び、相手よりも長生きするぞという時の慣用的('idiomatic') な表現である。例えば、 'My boss is such a tyrant, I'm going to dance on his grave someday.'となるのである。マーガレット・サッチャー (1925-2013) は、鉄の女と呼ばれた首相在任中の冷徹な政治手法が、それに反発する幅広い抵抗の歌を生み出したと言われるが、2014年に15歳で衝撃的なデビューを果たしたイギリスの若きロック歌手でシンガーソングライター、ジョン・レノン・マカラー (John Lennon McCullagh)は、自ら作詞作曲したI'll Dance On Your Grave Mrs Thatcher(2014)で、 ストライキで抵抗する炭鉱労働者たちを無慈悲に弾圧していったサッチャー首相に対する憎しみを、 'and we'll dance yes we'll dance / yes we'll dance on your grave mrs thatcher'というリフレインを織り込んでうたい、まだ幼さの残るような透き通ったその歌声が民衆の胸の内に突き刺さっていった。彼はもっと小さかった少年の頃に、父親と一緒にボブ・ディラン(Bob Dylan, 1941 - ; 様々な歌手に大きな影響を与え続けてきたアメリカのミュージシャン)のツアーを追いかける旅行に出かけ、10日間で9回のショーを観て、それで自分の人生は変わった、と言っている。マカラーの歌は、次のYouTubeで聞くことができる。
https://www.youtube.com/watch?v=1bJbeeKBPCU