第126話 桂冠詩人のバラッド詩(2)

ロバート・ブリッジズ「悲鳴(なき)止まぬ湖」(Robert Bridges, “Screaming Tarn”, 1899)

 

 前回話題のベッチェマンから三代前の桂冠詩人ロバート・ブリッジズ(p. r. 1913-30)の唯一のバラッド詩に「悲鳴(なき)止まぬ湖」(“Screaming Tarn”, 1899)という作品がある。山奥の深い湖から、真夜中に「死者の恐ろしい叫び声」が聞こえるというのである。

話はその昔 不運なチャールズ王が              
  王冠を失い 斬首(ざんしゅ)される前のこと 
山頂に建つ旅籠(はたご)を営んでいた 
  ある男にまつわる話である  (25-28)

Charles I of England beheaded
Charles 1 of England beheaded

気にかかるのは、「不運なチャールズ王が/王冠を失い 斬首(ざんしゅ)される前のこと」という特定の時代設定であるが、そこに立ち入る前に話を辿ろう。旅籠を営んでいるとはいえ、男は「無法時代」(‘lawless times’, 30) の、恐れを知らぬならず者で、ある日の夕方、若くて優男(やさおとこ)風の騎士が馬でやって来る。大袋を馬から下ろす時、その騎士は自分でそれを抱きしめて、決して他人(ひと)に持たせようとしない。「中は 金貨か宝石に違いない」と宿の主は推測する。食事も進まず部屋に下がる客人に、「それではごゆっくり」と見送るが、

  言葉とは裏腹に 腹の内には悪意を秘めて      
クロムウェル側について戦い倒れた息子のことを 
  一度たりとも忘れることはなかったのだ  (50-52)

とある。「クロムウェル側について戦い倒れた息子」と、ここでも不可解な時代設定が暗示されている。真夜中に男は客人の部屋に忍び込み、眠っている若者を刺す。生きていないことを確かめるために灯(あかり)を顔に近づけると、何としたことか、殺したのは「美しい女」であった。

日焼けした顔は化粧したもの
  男の頭髪と見えた鬘(かつら)は外(はず)れ            
突き刺した胸は女の柔肌
  美しい女の死に様(ざま)であった  (69-72)

半ばしまったと思いながらも、男はベッドから例の大袋を引き摺り下ろして略奪品の中身を調べる。手を突っ込んでまさぐる男の額に恐怖の生汗が吹き出る。

指に触れたのは金ではなかった 冷たくもなく
  硬くもなく 肉のような感触
巻き毛を掴んで引っぱり出したのは
  殺されたばかりの若者の生首 

それは 切り落とされた若者の首     
  さらにぞっとしたのは
先ほど殺した女と再会したかと見紛(みまが)うばかり
  二人は瓜二つではないか  (81-88)

「兄妹(きょうだい)さながら」(89)と表現される意味は何か?男は、岸辺に繋いだ小舟に二人を乗せ、死体の上に石を積み上げて、湖の中央まで小舟を押し出し、水を入れて沈めてしまう。戻った男は、殺した女の馬に乗って何処へか姿をくらます。死ぬ前に、誰にも知られていなかったこの話を仲間の一人に打ち明ける。「だから 彼の唇から吐き出された罪が/犯されたこの地に取り憑(つ)いたのである」(115-16)という最後の二行は、タイトルの「悲鳴(なき)止まぬ湖」(“Screaming Tarn”)を指している。

 女が男に変装して旅をするという設定そのものは伝承バラッドにもバラッド詩にも登場するお馴染みの話であり、運ばれてきたものが男の生首という怪奇性は、一見ワイルドの『サロメ』を彷彿させるかも知れない。『サロメ』の英訳版はブリッジズのバラッド詩の5年前、1894年に出版されており、詩人は当然これを読んで、物語のモチーフとして採用したことは考えられる。いや、それを遡る100年前、ロマン派時代のゴシシズムを代表するブレイク (William Blake, 1757-1827) の”Fair Elenor” (1783) の主人公が、何者かに渡されて部屋に持ち帰った包みの中身は夫の生首であった。しかし、ブリッジズの作品はこれらの作品が持つ怪奇性とはいささか異なるように感じられる。それは、先に指摘した特定の時代設定が暗示するものである。「不運なチャールズ王が/王冠を失い 斬首(ざんしゅ)される」とは、当然、チャールズ1世 (Charles 1, 1600–49; r. 1625–49)の運命を指しているだろう。彼はスコットランド王ジェームズ6世(後のイングランド王ジェームズ1世)と妃アン・オブ・デンマークの次男として生まれ、1625年3月、父の死去に伴い王位を継承してイングランド・スコットランド・アイルランド王チャールズ1世として即位した。父と同じ絶対王政を強めて議会と対立を深め、清教徒革命(イングランド内戦)で敗れて斬首刑に処せられた。

Execution of Cromwell Bradshaw and Ireton 1661

革命の指揮を執ったのがオリバー・クロムウェル (Oliver Cromwell, 1599-1658)であった。しかし共和政体も長くは続かず、1660年にチャールズ2世を国王に迎えた王政復古後は、ご存知のように今日までイギリスでは王政が続いている。[閑話:クロムウェルは死後、反逆者として墓を暴かれ、遺体はタイバーン刑場で絞首刑の後斬首され、首はウェストミンスター・ホールの屋根に掲げられて四半世紀晒されたという。右の画像後方の屋根に立つ三本の柱の左側がクロムウェル、中央が国王裁判において裁判長を務めたジョン・ブラッドショー (John Bradshaw)、右がクロムウェルの娘婿で、ネイズビーの戦いで国王軍に壊滅的な損害を与えた議会軍のヘンリー・アイアトン(Henry Ireton)少将] 悪事を働く宿の主の腹の中には「クロムウェル側について戦い倒れた息子」のことを一度たりとも忘れることはなかったという理由があったという。すると息子は、議会軍の一員として国王軍と戦って戦死したということになる。「無法時代」とは、このイングランド内戦の時代を指していよう。
 1282年にイングランド王エドワード1世に占領されてその支配下に置かれたウェールズはイングランドの一地方となり、エドワード1世は長男エドワード(エドワード2世)にプリンス・オブ・ウェールズ (Prince of Wales) の称号を与えて、ウェールズの君主として統治させた。これより以後、次期国王として王位を継承すべきイングランド王太子は代々プリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ大公)の称号を引き継いでいく。チャールズ1世が王位継承まではやはり「プリンス・オブ・ウェールズ 」と呼ばれていたのは、イングランドによるスコットランド統合の政治的配慮から父ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世となったからである。(静養先のスコットランドのバルモラル城で2022年9月8日に老衰により崩御したエリザベス女王がこの城をこよなく愛していたことはよく知られているが、ここにもスコットランドとイングランドが一体であることの象徴的意図も隠されていよう。跡を継いだ国王チャールズ3世が女王の在位中、第21代ウェールズ公として長く在位していたことも記憶に新しい。)
 チャールズ王とクロムウェルをめぐる唯一の「内戦」を経て、その後のイギリスは一応表向きは安定した王政が続いてきたと言えるかも知れないが、果たして内実はどうであったか。統合された三つの王国の中ではウエールズが唯一安定していたかも知れない(それには、道路標識などはすべてウエールズ語と英語併記だとか、イングランドの大学を出てウエールズで教鞭をとるためにはウエールズ語を習得しなくてはならないなどの政治的な融和策が功を奏しているのかも)。一方アイルランドは1603年には一旦イングランドに全土を征服され、1801年に連合法によりグレートブリテンおよびアイルランド連合王国が成立したが、45年にジャガイモに疫病が発生し,4年におよぶ飢饉となって、膨大な数のアイルランド人が移民となってアメリカなどに渡った。“Screaming Tarn”が発表された1899年のアイルランドはそのような状態にあり、その後も1930年にブリッジズが亡くなるまでの間、1916年のイースター蜂起で民族主義勢力がアイルランド共和国の独立を宣言したが、その後氾濫はイギリス軍によって鎮圧される。1921年にイギリス自治領としてのアイルランド自由国を成立させ、イギリス・アイルランド条約が結ばれるが、北アイルランド6州はイギリス統治下にとどまるという歴史を辿っている。スコットランドが辿った道については既に述べた通りであるが、1707年の議会の統合を経て正式に連合王国となったが、貴族院12対1、下院11対1の不平等なものであった。1745年のボニー・プリンス・チャーリー(”Bonnie Prince Charlie”ことCharles Edward Stuart, 1720-88)のジャコバイト蜂起などはあったが、18世紀後半の産業革命でスコットランドは連合王国の中心的存在となり、中央の支配に対して抵抗を行うことはなかった。20世紀に入って1913年に、アイルランドの影響もあって、スコットランドの自治法案がはじめて議会に提出されたが、それ以上進展することはなかった。議会が重要課題としたのは第一次世界大戦に伴う有事体制だったからである。第二次世界大戦以後はイギリスはもはや超大国ではなくなり、多くのスコットランド人にとって、連合王国の存在意義の一つは失われたも同然となる。70年代に入ってスコットランドに近い北海油田の開発は、イギリスに莫大な利益をもたらす一方で、スコットランドのナショナリズムを刺激した。独自の議会設置を求める住民投票が97年に行われ、可決された。その後、2014年9月18日に独立を問う住民投票が行われたことは記憶に新しいところである。反対票55.3%、賛成票は44.7%であった。独立を問う2度目の住民投票が2023年10月19日に実施されることが表明されている。

 宿の主人が殺した若者(実は、女)と、若者が持っていた大袋の中身の若者の生首が「瓜二つ」であったとは、「兄妹(きょうだい)さながら」のイギリスの過去の歴史を暗示し、このように複雑な連合王国 (United Kingdom) イギリスの或る時期の桂冠詩人を務めたブリッジズが、いずれの地域にも加担することのない安寧を求め、「一つの国家」としての同胞愛を託して書いたのがこの作品ではなかったか。湖の多い地形からなる国土に鳴り止まない悲願を託した憂国のアレゴリーと読めるのである。      

Aubrey Beardsley The Dancers Reward



<ひとくちアカデミック情報>
『サロメ』:オスカー・ワイルド (Oscar Wilde, 1854-1900)の戯曲。1891年にフランス語で書かれ、93年にパリで出版された。94年に出版された英訳版におけるオーブリー・ビアズリー (Aubrey Beardsley, 1872-98)の挿絵が有名(右はその一つ)。新約聖書のマタイによる福音書とマルコによる福音書を元にした内容で、ユダヤの王ヘロデ・アンティパスは前王の妃ヘロディアスの娘である王女サロメに魅せられて、しつこくダンスを迫り、何でも好きなものを褒美にとらせると約束する。預言者ヨカナーンが閉じ込められている井戸に向かったサロメは、一方的に彼を恋することになるが、愛を拒まれたサロメは王との踊りの返礼として、そのヨカナーンの首を所望する。銀の皿にのって運ばれてきたヨカナーンの唇にサロメが口づけし、恋を語るというものである。


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