第132話 検証ーArnoldはバラッド詩を書いたか

マシュー・アーノルド「捨てられた男人魚」と「聖ブレンダン」(Matthew Arnold, “The Forsaken Merman”, 1849 & “St. Brandan”, 1860)


 前話で、中世文学の巨頭であり、オックスフォード大学詩学教授(1920-23)でもあったWilliam Paton Ker が、20世紀初頭に伝承バラッドを説明して、「素朴な聴衆のために世代から世代へと歌い継がれてゆく、わかりやすい抒情的物語詩である」と定義したことを紹介した。19世紀中葉、1857年に同じくオックスフォード大学詩学教授に就任(62年再任)したアーノルドは、ラテン語ではなくて英語で講義した最初の教授として知られているが、60年の11月3日から12月18日にかけて行われた一連の公開講義はOn Translating Homer として61年に出版された。Friedrich A. Wolf (1759-1824; ドイツの文献学者・批評家)が1795年にProlegomena ad Homerum(『ホメーロスへの序論』)を書いて、ホーマーの作品は口承によって語り継がれたそれぞれ独立した短いバラッドを後にまとめたものであると述べて以来、バラッド形式によるホーマー訳を試みるものが続出した。Wolfの立場を踏襲したロンドン大学のラテン語教授F. W. Newman (1805-97)がThe Iliad of Homer (1856)を発表したことに対して、アーノルドは、ホーマー訳をバラッド形式で行おうとする時代の雰囲気に対して、古典主義の立場からその面目にかけて対決した興味深い講義であった。1
  アーノルドは、ホーマー翻訳者が留意すべき重要な4点として、(1) 話の展開が極めて迅速であること、(2) 思考の展開とその表現が、すなわち、統語論的にも言葉の上でも、極めて簡潔、端的であること、(3) 思想が極めて簡明、直接的であること、(4) (そして最後に)作者の精神が極めて高尚 (‘noble’)であることから、翻訳の韻律もホーマーの叙事詩がそうであったように’hexameters’(6歩格)による’grand style’でなくてはならないと主張する。最初の3点はいずれも伝承バラッドにも当てはまる重要な点であるが、第4の点が当てはまらないことは、作者不詳で’common metre’と呼ばれる最も素朴な韻律でうたわれる伝承歌に当てはまらないことは自明である。しかし、一連の講義の“Last Words”の中でArnold は、一箇所バラッドから引用しているところがある。

“O lang, lang may their ladies sit,
 Wi’ their fans into their hand,
Or ere they see Sir Patrick Spence
 Come sailing to the land.

O lang, lang may the ladies stand,
 Wi’ their gold combs in their hair,
Waiting for their ain dear lords,
 For they’ll see them nae mair.” 2  (sts. 9-10)


最も代表的な伝承バラッドの一つである”Sir Patrick Spens” 全44 行の内で終り近く、戻って来ない男たちを待ち侘びる女たちの情景をうたった場面である。アーノルドは、バラッドが叙事詩 (epic) のような物語には不適当であるとしながら、叙情詩となれば問題は別であるとして、次のように述べるのである。

“When there comes in poetry what I may call the lyrical cry, this transfigures everything, makes everything grand; the simplest form may be here even an advantage, because the flame of the emotion glows through and through it more easily.” 3


サー・パトリックと彼の乗組員たちの航海と溺死の経緯が語られ、それに続いて、故郷で女たちが彼らの帰りを待っている様子を語った部分であるが、王の命令を受けて、危険な運命を呪いながらも急転直下乗組員たちに船出をうながす、嵐が来そうだと尻込みする船乗りたち、しかし、次の瞬間には荒れ狂う海と戦い、死んでいってしまうという、8節32行の全体が、バラッド個有の、感情や心理的屈折を最高に抑制した形で語られてゆくのである。アーノルドの言う「抒情的叫び」(‘the lyrical cry’)、あるいは「感情の炎」(‘the flame of the emotion’)とは、バラッドの物語技法の効果そのものであることを、いみじくも語っているのである。

 アーノルドには二篇のバラッド詩がある。4 "The Forsaken Merman” (1849)と"St. Brandan" (1860)である。聖ブレンダン(c. 484 - c. 578)は初期ケルト系キリスト教の聖人で、航海者ブレンダンとも呼ばれ、船乗り、旅行者の守護聖人である。アーノルドの作品では、北極の海を旅する聖ブレンダンが、生前の善行の故に年に一度地獄から地上に戻ることを許された「裏切り者ユダ」(20)に出会ったという話で、「聖ブレンダンの目に涙が溢れ/聖人は頭(こうべ)を垂れて 祈りをつぶやいた/目を上げると 眼前にあるは/凍てつく空と氷の山 だがそこにユダの姿無し」(73-76)と終わる、いささか尻切れ蜻蛉の感は否めず、彼自身も詩人・編集者 F. T. Palgrave (1824-97)に宛てた書簡で、「この作品には全く満足していない」と語っている。5  事件を物語るという緊迫感も叙情性も無い淡々とした物語であるが、形式上は一応、弱強3歩格ないし4歩格でa/b/a/b と韻を踏む19スタンザから成るバラッド詩とは言えよう。
 それに対して、1849年に匿名で出版された最初の詩集 The Strayed Reveller and Other Poemsに収められている "The Forsaken Merman" は、各スタンザの行数が9、13、25、16等々と規則性の無い8つのスタンザ、143行から成り、韻律、脚韻の規則性も無い。彼の言う’grand style’に値しないことは自明と言わざるをえまい。然らば、彼が”Sir Patrick Spens”の最終場面に認めるところの「抒情的悲しみ」はどうか。
 85行目から(107行目まで)の22行を除いて全篇が男人魚(=merman)の語り手の独白で成り立っている。彼が子供たちに「みんなでうたおう 『人間の女がやってきた/でも その人は裏切った/だから その人はもう永久(とこしえ)に/わしら海の王者たちの側にはいないんだ』」(120-23)と言うが、人間の女との出会いの経緯そのものは何も語られない。しかもその独白は単調な繰り返しで、「抒情的叫び」(‘the lyrical cry’)は何も聞こえてこないと言わざるをえまい。

こっちに来るんだ おまえたち さあ行こう
丘を降りて 海の底に戻るんだ  (1-2)

子供たちにこう呼びかけているのは男の人魚である。子供たちの母親は「マーガレット」、人間の女である。子供の声を忘れるはずがないから、母さんの名を呼んでみな、と男は子供たちをけしかける。戻って来ない人間の女を迎えに、子供たちと教会の見える丘の上に立つ男人魚が言う。


立ち去る前に呼んでみな
一度だけ 母さんの名を呼んでみな
おまえたちの声に気付くはず
「マーガレット マーガレット」
子供の声を忘れるはずがない
母さんの耳に届けと呼んでみな (これっきりだよ)
子供の声が聞こえたら 胸かき乱して
きっと 飛んで来るだろう
一度だけ呼んでみな そしたら行くんだ
こっちだ こっちだ
「母さん 僕たちもう行かなくちゃ」と言ってみな
暴れる白馬(なみ)がいらいらと泡を吹いてる
ああ マーガレット マーガレット  (10-22)

ほんの昨日、教会の鐘の音が水中深く聞こえてくるとマーガレットは、「地上では復活節のお祈りの時 ああ/人魚のあなたとここにいては 人間(ひと)の魂を失ってしまう」(58-59)と言う。男人魚は、「『愛(いと)しの妻よ 海を上がるがいい/お祈りが済んだら また この優しい海の洞(ほら)に戻っておいで』」(60-61)と言って、優しく送り出したのであった。帰りの遅いマーガレットを迎えに教会の外までやって来て、中を覗くと、彼女の目は聖書に釘付けで、外の夫と子供たちには一瞥だにしない。85行目から107行目の間は、時間が飛んで、人魚たちは海の底に戻り、地上のマーガレットは糸車の前にすわって「「ああ この世の幸せ/、、、/牧師様と教会の鐘の音と聖なる井戸/、、、/そして 祝福に満ちた陽(ひ)の光」(89-93)と歌を口ずさんでいる。突然、糸巻きが手から落ち、彼女は海の彼方を見つめる。


悲しみに曇った眼から
ひと滴(しずく)の涙が落ちる
悲しみの詰まった胸から
長い長いため息が漏れる
幼い娘人魚の冷たくよそよそしい目つきと
その金髪の輝きを思い浮かべて  (102-7)



場面はまた戻って、「さあ 離れるのだ」(108)と子供たちをうながす人魚の男、同じ繰り言が続いて、最後は


「愛する人があそこにいるよ
でも その人は冷たい女(ひと)
海の王者たちを捨てたのだ
永久(とこしえ)に見捨てて 去っていったのだ」 (140-43)

と終わる。
 上の二つの引用、マーガレットが残してきた子供らを思い浮かべて涙する場面と、自分たちを捨てたのだと断じる男人魚の台詞、いずれも叙情性溢れる場面と言えるだろうか。全143行のほとんどすべてが男の独白から成り、子供たちの声も母親の声も聞こえてこない。

 Child113番には『スール・スケリー島の大アザラシ』("The Great Silkie of Sule Skerry”)という、人間の女とアザラシの男の物語がある(第52話参照)。海の中ではアザラシだが陸の上では人間だった男との間に子供ができて、その子を引き取りに来た男が、「おまえは 腕自慢の鉄砲撃ちと結婚する/そいつの腕前は 百発百中/そいつが放つ一発が/幼い子供と俺に命中だ」(st. 7)と予言して歌が終わる。アーノルドは、デンマークの学者で司書のジャスト・マティアス・ティエレ(Just Mathias Thiele, 1795–1874)が収集したデンマークの民話をベースに"The Forsaken Merman”を書いたそうで、6   Palgraveらの好評を博し、Tennysonのお気に入りでもあった。Tennyson自身にも”The Merman” (1830)や “The Mermaid” (1830)があり、ジョン・レイデン (John Leyden, 1775-1811)の“The Mermaid”はScottのMinstrelsy (1802-3)に収録されていた。人魚物語はロマン派以降の詩人たちにとって共通の関心あるテーマであったようである。しかし、アーノルドの作品には他に無い注目すべきモチーフが込められている。それは、水中深く届いてきた教会の鐘の音に誘われてマーガレットが人間界に戻って行ったこと、男人魚と子供たちがマーガレットを迎えに教会のある場所までたどり着くが、一心不乱な彼女は外の彼らに気付かないこと、人魚たちが海底に戻り、マーガレットが地上の祝福に満ちた陽の光に包まれている中、一瞬糸車が手元から落ちて、子供らのことに思いを馳せて涙するが、「幼い娘人魚の冷たくよそよそしい目つき」(106) を思い浮かべて、彼らへの思いを断つという一連の流れに、キリスト教と異界が手を結び合えないことを読者に思い知らせるのである。詩学教授としての講義の中には、ホーマーのバラッド翻訳の問題以外に、1869年に本として出版されたCulture and Anarchy: An Essay in Political and Social Criticism 中の”Hebraism and Hellenism” という1章がある。その中で彼は、ヴィクトリア朝時代の国民の知性がキリスト教的道徳性に縛られて硬直していることを鋭く指摘し、物事をあるがままに見るヘレニズム的精神・知性の重要性を訴えている。この文脈に落としてみると、”The Forsaken Merman”は人魚物語というバラッド的テーマを活かしたアーノルド独自のメッセージ詩として評価できるのかも知れない。

 名作抒情詩 “Dover Beach”の制作年は一応1851年と推測されているが、1849年にはその構成が始まっていたという説もある。"The Forsaken Merman”と同時期である。窓辺に立って、満月に照らされる静かな入江を眺めながら遠いソポクレスの時代に思いを馳せ、かつては満潮の’The Sea of Faith’に夢や喜びが溢れていたものが、今では寄せては返す潮騒の’the eternal note of sadness’ (14) に耳傾けるとうたう見事な抒情詩である。

The Sea of Faith
Was once, too, at the full, and round earth’s shore
Lay like the folds of a bright girdle furled.
But now I only hear
Its melancholy, long, withdrawing roar,
Retreating, to the breath
Of the night-wind, down the vast edges drear
And naked shingles of the world.  (21-28)

その昔信じられていた人魚との交流のフォークロアの不成立をアーノルドは悲しんでいたのだろうか。

 

注 1 詳細は山中光義「アーノルドとバラッドをめぐって」『英語と英米文学』(山口大学)8 (1973) 参照。
注 2 “On Translating Homer,” On the Classical Tradition (Complete Prose Works of Arnold I): 209-10. PercyのReliques (=Child 58A) からの引⽤で、スペリングを多少Arnold が現代⾵に変えている部分があるが、ここではそのままArnold の引⽤を採⽤した。 
注 3 “On Translating Homer,” Complete Prose Works of Arnold I: 209.
注 4 上記注1の拙論で筆者は「[アーノルドが] 一篇のバラッドも書かず」(3) と書いているが、果たして彼の作品は本当にバラッド詩と言えるか否かの検証が本論での目論見である。
注 5 The Poems of Matthew Arnold, ed. Kenneth Allott (Longmans, 1965) 463.
注 6 Poems of Arnold, 95.


<ひとくちアカデミック情報>

’grand style’ : アーノルドは、“grand style simple”の最高の詩人としてHomer を、“grand style severe”の最高の詩人としてMilton を、両者を兼ね備えた最高の詩人としてDanteを挙げ、前者は詩人の「卓越した能力」、「詩的才能」に関わって最高に崇高であり、後者は詩人の「偉大なる人格」、「高尚なる性質」に関わって最高に崇高であると主張するが、言葉の曖昧さに関して次のように弁明する:”Nothing has raised more questioning among my critics than these words—noble, the grand style. People complain that I do not define these words sufficiently, that I do not tell them enough about them. ‘The grand style, —but what is the grand style?’ —they cry; some with an inclination to believe in it, but puzzled; others mockingly and with incredulity. Alas! the grand style is the last matter in the world for verbal definition to deal with adequately. One may say of it as is said of faith: ‘One must feel it in order to know what it is.’ But, as of faith, so too one may say of nobleness, of the grand style: ‘Woe to those who know it not!’” (“On Translating Homer,” Complete Prose Works of Arnold I: 187-88)
 講義全体を通して精力的に、彼の主張に叶う詩と叶わない詩を引用して比較させるという方法を採用しているが、例えば、遠征に弱気のみえたAgamemnon に対してUlysses が咎める場面でNewmanが “Infatuate! O that thou wert lord to some other army, —” と訳しているところ、アーノルドは
  “Ah, unworthy king, some other inglorious army
  Should’st thou command, not rule over us, whose portion for ever
  Zeus hath made it, from youth right up to age, to be winding
  Skeins of grievous wars, till every soul of us perish.” (Iliad, XIV. 84)

と訳してみせるというように。 (“On Translating Homer,” Complete Prose Works of Arnold I: 125)

  




<原詩の箱:“The Forsaken Merman”>

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<訳詩の箱:“The Forsaken Merman”>

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<原詩の箱:“St. Brandan”>
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<訳詩の箱:“St. Brandan”>
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{tab=歌の箱:The Forsaken Merman Sung by Anne Maria Clarke}