第136話 ラフカディオ・ハーンの東大講義
チャールズ・キングズリー 『エアリー・ビーコン』(Charles Kingsley, “Airly Beacon”, 1847)
ワーズワース (1770-1850; in office 1843-50)やテニスン (1809-92; in office 1850-92)のようなヴィクトリア時代 を代表する桂冠詩人でもなく、前時代のシェリー (P. B. Shelley, 1792–1822)らロマン派詩人たちのような過激な感情を発出するでもなく、ロセッティ (D. G. Rossetti, 1828–82)たちラファエロ前派の詩人たちのような芸術至上主義的なタイプでもなかったキングズリー (Charles Kingsley, 1819-75)を、しかし、歴史上著名な人物の伝記を編纂した『英国人名事典』(Dictionary of National Biography, 1885~)は「最高レベルではなかったかも知れないが、彼こそ本物の詩人であった (“He was a genuine poet, if not of the very highest kind.“)と称えている。おとぎ話『水の子どもたち』がヴィクトリア女王の子供たちへの愛読書であったことは前話で紹介したが、小説家としてのみならず、英国国教会の司祭、ケンブリッジ大学の近代史教授、キリスト教社会主義の立場からの様々な貢献(成人教育のために1854年に設立されたワーキング・メンズ・カレッジへの協力等)などと共に詩人としての社会貢献も、前話で紹介した「三人の漁師」(“The Three Fishers”, 1851)で「男は働き 女は泣く運命(さだめ)」と繰り返される民衆に寄り添うバラッド詩や、『水の子どもたち』の煙突掃除の少年の創作などが良く伝える通りである。産業革命の恩恵のもとで大英帝国として発展の一途を辿ったヴィクトリア時代に、「人口の4分の3以上は(貧しい)労働者階級であった」と『ブリタニカ百科事典』(Encyclopædia Britannica, 1768~)は明記しているが、その『ブリタニカ』がキングズリーを、”He was also a very competent poet who wrote some memorable ballads (“Airly Beacon,” “The
Sands of Dee,” “Young and Old”).”と紹介している。いずれも控えめな作品かも知れないが、「忘れ難い」バラッド作品である、と明言しているのである。
今回はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が東大講義で取り上げたキングズリーの珠玉の一篇“Airly Beacon”を紹介して、ハーンの功績を讃えるとともに、バラッドの本質をあらためて思い起こしたい。
ハーンが1896年(明治29年)から1903年(明治36)まで東大で行った英文学講義を通して日本に初めて「バラッド」という言葉を紹介した意義は大きい。ハーン自身は講義録を残してはいないが、受講生たちの緻密な筆記録をハーンの没後、アメリカ・コロンビア大学の英文学教授ジョン・アースキン (John Erskine) が、次々にまとめて出版した。1 その中から「最も重要と思われるもの十六篇」を池田雅之が編集・翻訳して『小泉八雲東大講義録 日本文学の未来のために』(2019、角川ソフィア文庫/Kindle)を出版した。池田編集の『講義録』第一章「文学の力」中の「赤裸(せきら)の詩(うた)」の項にキングズリーは登場する。
「『赤裸(せきら)の詩(うた)』とは、何の衣裳(いしょう)も装飾も身につけていない詩歌、まさにいかなる技巧によっても隠蔽(いんぺい)されることのない詩の真髄、もしくは詩の本体のことを指して言っている。
もちろん、私はこの「赤裸の」という言葉を、芸術的な意味で用いている。つまり、詩歌を、何ら余計な夾雑物(きょうざつぶつ)の混じらぬ人物像とか事実そのものを表現している芸術作品に譬(たと)えているのである。」
こう述べたハーンは、まず、アイルランドの詩人ウィリアム・アリンガム (William Allingham, 1824-89)の「池には四羽のアヒル」に言及した後、「数は少ないながらも、神業のごとき表現の簡潔さの域に、つまり、形式の支配を受けない純粋な情感を表現する技法の域に達している英詩人」の一人としてキングズリーを挙げ、「人生の悲劇を唄(うた)っている。一度読むと、けっして忘れることができないような作品」として“Airly Beacon”を紹介するのである。わずか12行の短い詩なので、まるまる原文と訳詩をここに引用しよう。
Airly Beacon
Airly Beacon, Airly Beacon;
Oh the pleasant sight to see
Shires and towns from Airly Beacon,
While my love climbed up to me!
Airly Beacon, Airly Beacon; 5
Oh the happy hours we lay
Deep in fern on Airly Beacon,
Courting through the summer’s day!
Airly Beacon, Airly Beacon;
Oh the weary haunt for me, 10
All alone on Airly Beacon,
With his baby on my knee!
エアリー・ビーコン
エアリー・ビーコン エアリー・ビーコン
恋人が丘を登って来るのを待つ間
麓の町や遠くの村々を眺めているのは
なんと心踊ることだったか
エアリー・ビーコン エアリー・ビーコン 5
深い羊歯(しだ)に埋(うず)もれて
夏の日が暮れるまで睦(むつ)び合い
なんて幸せな時を過ごしたことか
エアリー・ビーコン エアリー・ビーコン
膝の上には赤ん坊 10
でも わたしは独りぼっち
なんと淋しい丘になったことか
(山中光義試訳)
「エアリー・ビーコン」というのは、スコットランド南部国境地域ピーブルズ (Peebles)その他南西部ダンフリース (Dumfries)などの高地で、その昔、敵の襲来を告げる合図の火、つまり狼煙(のろし)がそこに点されたことから、「のろしの山 (Airy Beacon)」と呼ばれた丘があった。「敵」とは、長年侵略を繰り返したイングランドである。ハーンは、「このことを念頭に置いてこの詩を読めば、みなさんはこの詩の効果をいっそうよく味わうことができるだろう。」と述べている。
愛し合った恋人同士が、親の反対や、敵対するクランが故に、その他様々な理由で別れることになったと謳う伝承バラッドは枚挙に暇(いとま)が無いが、北国スコットランドの若者たちがこぞって求愛に出かけても、
「もう 何も言わないで
わたしのことは諦めて
心は イングランドの恋人に
だからもう わたしのことは諦めて」 (st. 5)
と、国境を越えた愛を貫いて、家族から火炙りに処せられる悲劇をうたった「メイズリー」 ("Lady Maisry", Child 65A)をハーンは念頭に置いていたのだろうか。いや、詮索して色分けする必要は無いだろう。父はアイルランド出身、母はギリシャ出身で、日本に渡り来て、小泉節子と結婚して日本に帰化、日本の民話・伝説・詩歌をこよなく愛したハーンは、「英語における民衆の言葉こそは、ある種の情感的な詩歌にとって、最良の媒体となるものである。しかし方言に頼ったり、くだけた口語体にまで堕(おと)さなくとも、非常に平易な、ごくありふれた英語を用いることによって──当の詩人が心から感動しているならば──作品は大きな効果をあげることができる。」と講義するのである。「日本文学の未来のために」と題した最終講義でハーンは、「[テニスンらバラッド詩の作者たちが]素朴な農民伝承からヴィクトリア朝時代の詩歌の新鮮な美しさを引き出すことに大いに力があった」と称え、スコットについても「彼が拾い集めた、あの一見取るに足らぬような農民たちの歌が、新しいイギリスの詩歌を誕生させたのである。十八世紀文学の全般的な風潮が、そのために変化をきたした。それゆえ、学問があっても、無学な人々への共感の念を惜しまないような一人の日本のウォルター・スコットが、やがて日本にも現れるかもしれないことを、私は希望しておきたいと思う。」云々と締め括る。
* 2007年9月に発足した日本バラッド協会(The Ballad Society of Japan)は20年近い時を経て、会員数も120名近くになってきた。この会がラフカディオ・ハーンの期待に少しでも近づけるものであったら会員の一人として幸いである。(2025年3月記)
注 1: Interpretations of Literature (New York: Dodd, Mead and Company, 1915). Appreciations of Poetry (London: William Heinemann, 1916). 本論で引用するハーンの文章は、池田雅之編訳『小泉八雲東大講義録 日本文学の未来のために』(2019、角川ソフィア文庫/Kindle)より。ただし、「エアリー・ビーコン」の訳は筆者(山中)の試訳。
<ひとくちアカデミック情報>
『ブリタニカ』が紹介する「忘れ難い」他の二篇、一つは、スコットランド東部を流れるディー川の砂原に放牧していた牛を、天気が悪くなったので迎えに行かされ、そのまま荒波に飲み込まれて姿を消したメアリーだったが、今になっても牛を呼ぶ彼女の声がディー川の砂原に聞こえる、とうたわれる”The Sands of Dee” (24行)、若々しい人々にも青々とした木々にも、万物全てに衰える時は来る、でもその時、かつて愛したものの顔(人であれ、犬などの生き物であれ)があなたのそばに寄り添うことを神よ赦したまえとうたう”Young and Old” (16行)、いずれも小品、しかし、珠玉の作品である。