第138話 詩人の演劇表現

ウィリアム・アリンガム 『ヘンリー王の狩り』(“King Henry’s Hunt”, 1877)

 

イングランドの歴史に深く関わった人物として「ヘンリー八世」(1491-1547; 在位 1509-47) は突出していると言っても過言でないかも知れない。ローマ教皇庁と対立してイングランド国教会 (Church of England)を分離独立させて自ら首長となったが、それには己の離婚問題が深く関わっていた。1509年に結婚した最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴン(1487-1536)は後のメアリー1世(Mary I of England, 1516-58; 在位 1553-58)の生母であったが、国王との間に男児が誕生しなかったことから、1533年に離婚させられた。シェイクスピアの歴史劇『ヘンリー八世』(The Famous History of the Life of King Henry the Eighth)はこの間の事情を描いているが、(1) 大部分は内政・外交に辣腕を振るった聖職者トマス・ウルジー (Thomas Wolsey, 1475-1530)枢機卿を中心とした政界の闇の部分である。劇の最後は、2番目の王妃となるアン・ブーリン(Anne Boleyn, c.1501- 36)が産んだ「イングランド王女エリザベス」(2) の誕生を喜ぶ王の言葉で終わる。

 「おかげでおれもようやく一人まえになった思いだ。・・・いずれおれが天に召されたとき、この子のなすことを眺めたい気持ちでいっぱいだ、わが造物主を賛(ほ)めたたえながらな。・・・みんな妃に会ってくれ、妃も礼を言いたいはずだ、行ってやらぬとがっかりするだろう。今日一日、仕事のことは考えるな、ここで祝ってくれ、心から、このかわいい子が今日を休日にしてしまったのだから」(小田島雄志訳)

この最後のセリフがひょっとしたらシェイクスピアの秘められた皮肉ではないかと思わせるようにアリンガムは、このアン・ブーリンのその後の暗転を処刑の一瞬に焦点を当ててバラッド詩『ヘンリー王の狩り』を書いている。アンは、後のエリザベス1世(Elizabeth I, 1533-1603; 在位:1558-1603)の生母でありながら、キャサリンと同じく男児を産めなかったことから、処刑されるのである。特にエリザベス朝と呼ばれ、イングランドの黄金期と言われているテューダー朝最後の君主の生母の、その声も姿も無く、ただ処刑を知らせる大砲の音を待つ間のヘンリー王の動きだけに焦点が当てられる。

1536年5月、ヘンリー王はロンドン北東部ウォルサムの森(3)に出かけていた。家来や犬たちが「今か今かと気もそぞろ 」に狩りの始まりを待っているのに、王は動かない。

「陛下は何をお悩みで
  不機嫌そうなご様子で行ったり来たり     
どんな獲物を追われる時も
  こんなにお足が進まないことなどなかったのに」    (9-12)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        歩いては立ち止まり、向きを変え、何やらぶつぶつと呟きながら、ベルトを締め直したり顎髭を引いたり、でも ひと言も発しない。猟犬番たちは恐々(こわごわ)と王様を盗み見るばかりである。王は倒れたオークのAllingham 2木に腰をかけ、額に皺を寄せ、唇を噛んでいる。[右の挿絵画家はWilliam Small;場面の原文箇所は "King Henry sat on a fell’d oak, / With gloomier eyes and stranger; His brows were knit, his lip he bit; / To look that way was danger. (25-28)]

ローマ教皇と皇帝のことを考えているのか
  彼らを否定し 逆らったことを          
それとも 己(おの)足元の王国の裏切り者たちが
  陰謀を企んでいるのか ならば 奴らに災いあれ    (29-32)

 
突然、遠くから一発の大砲の音がして、ヘンリー王は飛び上がる。


Suddenly on the southern breeze, 
  Distinct though distant, sounded
A cannon shot, ― and to his feet           
  The King of England bounded.       (33-36)

 
「我が馬を・・・さあ 猟犬(いぬ)どもを放て」という王の命令一下、皆のものが一斉に馬に跨(またが)り、一頭の牝鹿(めじか)を目撃して、怒り狂った悪魔のごとく (‘Like furious demons’, 40) 襲いかかる。牝鹿(めじか)は素早く木立や空き地を逃げ回り、それに負けじと追っ手が追跡、森中の四方八方から狩する者たちの角笛と叫び声が木霊(こだま)する。やがて、家来たちが道を空けるところ、王が雄叫びをあげて疾走、「長らく苛々と待たされていた馬も/今こそ威勢よく 鼻息荒く嬉々としていた」(55-56)。出だしからこの間、ヘンリー王が何を考え、どのような気分であったかは一切触れられない。動きが示されるのみである。しかし詩人は、「五月に牝鹿(めじか)を殺すは容易(たやす)きこと/そばに子鹿がいなければ」 (47-48) という暗示的な言葉を添え、狩の祝宴をあげる皆の者たちは、「聖ジョージよ 守り給え 気高き主君(きみ)を/時には激(げき)しやすく 性急過ぎることもある主君(きみ)を」 (59-60) と叫ぶ。「誰が叫んだ」とは書かれない、「彼ら」 (‘they’) なのである。ヘンリー王の二人の妃アン・ブーリンと5番目の妃キャサリン・ハワード (Catherine Howard, 1521-42; 1540年結婚、42年離婚)の伯父ノーフォーク公 (Thomas Howard, 1473–1554) 以外に事情を知る者は居なかった。

最後の10行は、この恐るべき王に対する感情を飲み込んだ簡潔な説明で終わる。


城の塔から響いた大砲の音は
  美しきアン・ブーリンの首が落ちた合図であった

 
ヘンリーがいつも口づけしていたアンの首は
  血染めの斧で切り落とされた   
二人の間の幼い娘エリザベスに
  アンが会うことは二度と無い

 

国王は愉快げに西の方に駆け去る
  ほくそ笑みはいや増すばかり
明日(あした)は己(おの)が婚礼の日                              
  美しきジェーン・シーモアと結ばれる日  (67-76) 

 

最初の妃キャサリンを離婚してまで、彼女に仕えていたアン・ブーリンと結婚、しかし、アンもまた男児を産まなかったが故に斬首、非道極まりなかった国王の所業を、本人のセリフ抜きで狩場での静から動への動きの一点のみで表現してみせた詩人の劇的表現能力は、少ない言葉で多くを伝えるバラッドの真髄を極めていたと言っても過言ではあるまい。

 

注1:文体からシェイクスピアの単独執筆作品ではなく、ジョン・フレッチャー(John Fletcher, 1579-1625)が共作したか、あるいは改訂した可能性があると指摘されてもいる。

注2: Garter. the high and mighty princess of England, Elizabeth." (V, iv, 2-3; King Henry VIII, The Arden Shakespeare)

注3:=「エッピングの森」(79) この広大な森林は、かつてヘンリー8世やエリザベス1世の狩猟場として有名なロンドン郊外にある広大な森林地帯。

<ひとくちアカデミック情報>
テューダー朝  House of Tudor.   1485年から1603年までイングランドとアイルランドを統治した王朝。ばら戦争に勝利したヘンリー7世が創始し、ヘンリー8世、エドワード6世、メアリー1世、エリザベス1世と続き、エリザベス1世の死後、テューダー朝は断絶し、スチュアート朝に引き継がれる。

 


<訳詩の箱>

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