第102話 挫かれる命の炎
W・H・オーデンミス・ジー』(W. H. Auden, "Miss Gee", 1937)

 前話における老水夫の孤独を、自然の中で個人が犯した罪から来る天罰としての絶対孤独とすれば、今回の女主人公の孤独は、個人の責任とは無関係に降りかかって来る社会の中での孤独と言えよう。都会の「居間兼寝室の小さな部屋」に独り住むミス・エディス・ジーの容姿を詩人は、「左目はすこし斜視(やぶにらみ)/唇は薄くて 小さくて/肩は狭くて なで肩で/胸は哀れなペチャパイでした」と表現している。(「胸は哀れなペチャパイでした」のところ、原文は ‘she had no bust at all’であるが訳者(=山中)が「哀れな」と感情移入しているのは、決して侮蔑しているのではなくて、主人公の哀れな人生に対する深い同情からであることをお断りしておきたい。)

 教会の慈善バザーのためにせっせと編み物をしたりする彼女であったが、星空を見上げて、自分を気にかけてくれる人など誰もいないと呟くのである。ある晩、彼女は夢をみる。自分はフランスの女王様で、教会の牧師様が自分に踊りの申し込みをしているという夢である。ところが、嵐で宮殿は吹き倒され、今度は、小麦畑で自転車を漕いでいる。そこに、「牧師様の顔をした雄牛が/角を低くかまえて」襲ってきて、「背中に熱い息が迫って/今にも雄牛は追いつきそう」という夢に変わる。無意識の性への欲求不満であると同時に、他人から愛されたいという願望であろうか。教会での夕べの礼拝で、恋人たちの側を通るとき、彼女は顔を背け、彼らも彼女を呼び止めない。ミス・ジーは脇の通路にひざまずいて、「どうか 誘惑しないでください/わたしを正しき女にしてください」と祈るのであった。

 ある時、町の医者のところに出かけて行って、体の中が痛む、ひどく気分が悪いと訴える。念入りに診察したトマス先生は、「なぜ もっと早く来なかったのかね」と言う。彼女を帰した後でトマス先生は、「癌とはおかしなものだ/知ったか振りをする者もいるが/本当は 誰にも原因はわからない/それは 密かに待ち伏せして/襲いかかる暗殺者のようなもの」と呟く。これは、作品が書かれた1940年代当時も今も変わらない事実であろう。更に、「子供の無い女が罹(かか)るし/仕事を辞めた男が罹る/癌とは まるで挫けた生命(いのち)の火の/最後の捌(は)け口のようなもの」と呟くが、これは、医者という科学者としての台詞ではなくて、「挫けた生命(いのち)の火」に対する無念の思いの呟きであろう。

 季節としての「冬」は樹々を難破船の姿に変え(‘Winter made them a wreck’ 38)、昼と夜はコーンウォールの難破船に寄せては返す波のように彼女の側を通り過ぎていた(‘The days and nights went by her/Like waves round a Cornish wreck’)という比喩表現で彼女の人生は語られていたが、今や彼女自身が「難破船そのもの」(‘a total wreck’)となって、大きな病院の手術台に寝かされている。にやにや笑っている学生たちに向かって外科の教授が、「諸君 見たまえ/これほどまでに進行した肉腫は/めったに見られない」と言って、ミス・ジーを真っ二つに切り裂く。次には、解剖術を学ぶ別の科に運ばれて、ミス・ジーは天井から吊り下げられ、「数人のオックスフォードグループ運動員が/入念に 彼女の膝関節を切り離しました」とうたわれて、ミス・ジーの物語は終わる。

 素朴な伝統的バラッド・スタンザでうたわれるこの作品は、しかし、その内容が極めて二十世紀的なブロードサイド・バラッド(第8話「ひとくちアカデミック情報」参照)の典型と言えるものになっている。主人公が男にモテないということとは関係無く、彼女から伝わってくるものは、都会に住む者の孤独感であり、愛の無い現代人の悲哀である。「ある日の夕方 散歩に出かけ」( ‘As I Walked Out One Evening’ 1937)という別のバラッド詩でオーデンは、日常生活の一齣一齣に潜む現代人の孤独を「食器棚では氷河がガタガタ/ベッドでは砂漠が溜め息をつき/ティーカップの亀裂(ひび)から奥に/死者の国への道が続く」 (‘The glacier knocks in the cupboard, / The desert sighs in the bed, /And the crack in the tea-cup opens / A lane to the land of the dead.)と表現する。ミス・ジーの夢の内容は、フロイト(Sigmund Freud, 1856-1939)的な「無意識」の世界を想起させよう。死んだミス・ジーを外科的、解剖学的な教材として扱っている場面は、それが医学の進歩に不可欠なものであったとしても、科学の進む方向性が内包する人間性の喪失を暗示しているように感じさせられる。手術台に寝かされた彼女を見て学生たちが「にやにや笑っている」と表現した詩人の気持ちは明らかであろう。しかも彼らは「オックスフォードグループ運動員」であった。1939年にアメリカに渡る二年前に書かれたこの作品には、哀愁に満ちた一人の女の人生を通して、社会に対する、科学に対する、宗教に対する痛烈な皮肉を込めた、当時、若き左翼詩人たちのリーダー的存在であったオーデンの面目躍如たるものが伝わってくるのである。

Unknown


 私は第100話の最後に、「ユーチューブというウェブサイトの登場がバラッドの復活を促しているという感」を日々抱いていると書いたが、数あるオーデンのバラッド詩の中で「ミス・ジー」を取り上げたのは、ひとえに、2015年に作られたというこの作品の素晴らしいアニメを紹介したいがためであった(「朗読の箱」参照)。現代を生きる人間のペーソスを余す所無く伝えていると思うのである。


ひとくちアカデミック情報
オックスフォードグループ: 第一次大戦後渡英したメソジスト派のアメリカ人牧師フランク・ブックマン(Frank Buchman, 1878-1961)は、イギリス滞在中に精神的啓示を体験し、それをもとに布教活動を開始して、"five C's:" (Confidence, Confession, Conviction, Conversion, Continuance)と呼ばれる考え方に則った生活改善と世界情勢の変革を志すことを提唱した。当初の賛同者にオックスフォード大学の学生や教員が多かったことから「オックスフォード・グループ」と通称された。38年には「道徳再武装」(Moral Re-Armament、略称MRA)と名付けられて国際的な運動を展開した。MRAはキリスト教に端を発し、あらゆる宗教や社会的背景に属する人々によって構成される非政府の国際ネットワークであったが、「アドルフ・ヒトラーのような人物がいることについて、天に感謝したい。彼は、共産主義の反キリスト教に対する防衛の最前線を打ち立てているのだ」というブックマンの言葉もあり、第二次大戦後の日本では、文化交流を名目とした反共運動が展開された事実も否めない。