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第48話 チェヴィオットの森 
『チェヴィオットの鹿狩り』 ("The Hunting of the Cheviot", 162 B)

イングランド北東部の州ノーサンバーランドからルートA68を北上、スコットランドとの国境地点カーター・バー (Carter Bar)で車を止めると、右手になだらかな山並みが望める。チェヴィオット丘陵 (The Cheviot Hills)である。文学史上名高い「チェヴィオットの鹿狩り」("The Hunting of the Cheviot", Child 162 )の舞台である。

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Illustrated by Arthur Rackham, from Some British Ballads (1919)


ある時ノーサンバーランド伯パースィは、スコットランドの森チェヴィオットで夏の三日を鹿狩りをして愉快に過ごすことにする。そのことは、スコットランドのダグラスにすぐに伝わり、ダグラスはパースィに使いを送って、「狩りは許さぬ」と言う。忠告を無視したパースィは、1,500人の「選りすぐりの」射手を 連れて森に出かけてゆく。対するダグラスも2,000人の兵で迎え撃つ。ダグラスはパースィに、大勢の部下を犠牲にするのは忍びないから、一騎討ちで勝敗を決しようと言い、パースィも「望むところだ」と受けて立つ。しかし、パースィの部下ウィザリントンが、大将が闘うのを傍観は出来ぬと言うや否や、イングランド軍から一段目の矢が放たれて、80人のスコットランド人が殺される。これを境に両軍入り乱れて戦い、「たくさんの勇敢な兵士たちが/喘いで大地に倒れました」とうたわれる。ダグラスとパースィも、「狂い獅子のように 相手を襲い」、「噴き出す血は大雨のように/頬を伝って」流れる。その最中に一本の矢がイングランド軍から放たれて、ダグラスの胸を射抜く。事切れたダグラスの手を取ったパースィは、「ああ おまえの死を悲しんで/わしの心臓が血を流す/これほどの名うての武将が/こんな災いに出くわすとは」と言って、好敵手の無念の死を悼む。復讐に燃えるスコットランド兵の槍に突き刺されて、パースィも命を落す。あとは果てし無き乱戦である。夜明け前から始まった戦いは夕暮れの鐘が鳴ってもまだ続き、パースィの部下ウィザリントンは「両足をもがれて達磨さん/胴だけになっても闘いました」とうたわれる。2,000人のスコットランドの槍兵で残ったのは55人、1,500人のイングランドの軍勢で家に戻れたのは53人だけ、残りは全員、チェヴィオットの緑の森で命を落したのであった。

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Illustrated by Arthur Rackham, from Some British Ballads (1919)


戦いの夜が明けて、駆け付けた女たちが夫の死を嘆き悲しむ。「真っ赤な血糊の夫の遺体を/女たちは連れ帰り/何千回もくちづけをして/土の中に埋めました」 とうたわれる。両軍の大将の死の知らせが、スコットランドのジェイムズ王、イングランドのヘンリー王、それぞれの元に届く。「あのような争いが 二度と再び/尊いものたちに起りませんように」という祈りでこの歌は締めくくられる。

鹿狩りが引き起こしたこの事件は、スコットランドとイングランドの国境を舞台にして繰り広げられた様々な戦いを象徴するものとしてうたい継がれていった。この歌が、1388年の「オタバーンの戦い」("The Battle of Otterburn", Child 161)と重複するものなのかどうか諸説あるところであるが、スコットランドにおける最初期の印刷物『スコットランド哀歌』(The Complaynt of Scotland, 1549)の中で"The Ballad of Chevy Chase"の題名で登場したことは紛れもない事実であった。しかし、誕生をめぐる歴史的事実関係よりも遥かに重要なことは、この歌が英文学史上に残した足跡である。一つは、16世紀イングランドの宮廷詩人サー・フィリップ・シドニー (Sir Philip Sidney, 1554-86)が『詩の弁護』 (The Defence of Poesie, c. 1580) の中で、「このような粗雑な古い歌に感動したと述べることは自らの野蛮さを告白することになるが、もしこれがギリシャの抒情詩人ピンダロス(522?-443? B. C.)の華麗な雄弁の衣をまとわされていたとすれば一体どれほどの感動を与えることであろうか」と、自らの感動を率直に述べたのである。次いで、18世紀に入ってジョセフ・アディスン (Joseph Addison, 1672-1719)が文芸誌『スペクテイター』 (The Spectator)の第70号と74号 (1711年)で二度に渡ってこの歌を大きく採り上げ、ギリシア・ローマの古典文学にも匹敵すると称えて、後のロマン派詩人たちに大きな影響を与えることになった。アディスンは、バラッドの簡潔で自然な文体を通して伝わってくる精神の高潔さを高く評価した。「のちの世に生まれる子らも/その日の狩りを悲しむでしょう」(第2スタンザ)という、戦いというものが未来の者たちにまで不幸な影響を及ぼすという出だしの視点、大勢の部下を犠牲にするに忍びないから一騎討ちで勝敗を決しようという騎士道的精神、自軍から放たれた矢で倒れた好敵手の無念な死を悼む崇高な台詞、等々である。

この歌については残念ながら今日うたわれているものをご紹介できるものが無い。代りに、162A版の貴重な朗読を「歌の箱」に収めている。  


ひとくちアカデミック情報162A版:これは、オックスフォード大学ボドレアン図書館 (Bodleian Library) 'MS. Ashmole, 48'という写本に収録されていたもので、トマス・パースィReliques of Ancient English Poetry第1巻の冒頭で "The Ancient Ballad of Chevy Chase"のタイトルで紹介された版である。(因みに、パースィの同書では、162B版は "The More Modern Ballad of Chevy Chace"のタイトルで紹介。)16世紀中頃と推測される古いスペリングに忠実な発音で朗読されている68スタンザの長い作品であるために引用は不可能だが、テキストについては次のURLに当たられたい。 http://www.sacred-texts.com/neu/eng/child/index.htm