第56話 無くした鞘付きナイフ
「鞘付きナイフ」 ("Sheath and Knife", Child 16A)
王様の娘が兄の子供を妊ったという噂が立つ。その兄が、父王の鹿狩り場に妹を連れてゆく。「お兄さん わたしが大声あげたなら//矢を放って 落ちたところにわたしを寝かせて」という台詞は、兄の矢に打たれて死ぬという妹の覚悟と願いを伝えるもので、世間の噂が本当であるということを暗示している。言われた通りに実行した兄は、深い穴を掘って、足元には赤子を入れて、妹を埋めてやる。
城に戻って、「おまえの苦しい顔はなぜ」と訊かれた彼は、「鞘付きナイフをなくしました 二度と手には入らない」と不思議な解答をする。相手(誰とは示されていない)が、「海を航(ゆ)く父の船があるではないか//なくしたものに劣らない鞘付きナイフを運ぶ船」と言うと、彼は「でも ぼくがなくした鞘付きナイフは 二度と手には入らない」 と繰返す。このやり取りからは、「鞘付きナイフ」が死んだ妹と赤子を暗示しているように思われる。アメリカのフォークの新旗手エリー・ブライアン (Ellie Bryan)は「鞘」は妹を、「ナイフ」は赤子を指すと説明している(「歌の箱」参照)。
陣内 敦 作 |
チャイルドの分類でこの歌の直前の作品「リーサム・ブランド」('Leesome Brand', Child 15A)でも、恋人と、彼女が宿していた子供を失った息子が母親のところに戻ってきて、「ああ ぼくは黄金(きん)のナイフを失いました//そして もっと大事なものを失いました/それは ナイフをおさめた金箔の鞘(さや)」と言う場面がある。「王女ジーン」 ('The King's Dochter Lady Jean', Child 52A)で、王様の末娘ジーンが森で若者に出会い、結ばれた後にその若者が、ジーンが生まれる前から他国を放浪していた王の長男、すなわち、ジーンの兄であったと判り、ポケットからペンナイフを取り出して自らの身体を刺す。城の広間まで辿り着いて倒れたジーンに王様と奥方と姉がそれぞれどうしたのかと尋ねるとジーンは、「昨日の晩遅く 家に戻ろうと/城壁の側を通ったとき/胸の上に/それはそれは重い石が落ちてきました」 と繰返す。3つの例のいずれも、出来事を隠すための婉曲的な表現であるが、それが特に近親相姦の出来事に関して使われた場合に、性的な意味の暗喩(=メタファー, 'metaphor')になっていることも事実である。
第20話の「ダグラス家の悲劇」("The Douglas Tragedy", Child 7B)で、 恋人のウィリアムがマーガレットの父親や兄弟たちと闘った後、小川に辿り着いて水を飲もうとした時に、溢れ出る血が川に流れるのに驚くマーガレットにウィリアムが、「おれの緋色のマントの影が/澄んだ水に映っているだけ」と言う名場面を紹介したが、この高等過ぎる暗喩的な表現は口承伝承されたものではなくて、この版を世に紹介した詩人サー・ウォルター・スコットのものだという指摘がある一方、他の類似の表現が伝承歌にあることを理由に反論するという論争があったりしたが、今回の「鞘付きナイフ」などの暗喩からも、伝承の持つ豊かな表現力が詩人個人のものに決して劣らないことが解るのである。
ひとくちアカデミック情報:
エリー・ブライアン: Ellie Bryan. アメリカ・ミネアポリス出身のエリーは、2012年7月にAm I Born To Dieという衝撃的なタイトルのアルバムでデビューしたカナダ系アメリカ人。それは、先住民クリー族の血を引くシンガーソングライターBuffy Sainte-Marieから強い影響を受け、"Sir Patrick Spens"などの伝承歌を含む14曲からなるアルバムであるが、今回の課題曲 "Sheath and Knife"もその内の1曲である。古い民族音楽への関心と共にダルシマーやバンジョーなどの民族楽器に深くコミットしてゆき、独自の解釈に基づくチャイルド・バラッドをうたい上げている。彼女は、19世紀アメリカ人「民俗学者」チャイルドの物語世界の持つ、古来の粗野な情緒性と精神性を兼ね備えた物語世界に心酔したと述べている。FacebookやTwitterで積極的に発信している彼女はまた、YouTubeでも自ら"Sheath and Knife"の3種類の画像をアップしている。「歌の箱」以外では、http://www.youtube.com/watch?v=LM4FktCZHxI(アパラチア山岳地帯に伝わる4弦の民族楽器ダルシマーで自ら弾き語りしている)とhttp://www.youtube.com/watch?v=BJys-jWgtGUを参照されたい。