第76話 鯖と蛇は姉と弟
「汚い蛇と海の鯖」 ("The Laily Worm and the Machrel of the Sea", Child 36)
継母(ままはは)によって魔法をかけられて変身を強いられる点では前話と同じであるが、今回は、いじめられる姉と弟の姉弟愛が絡んで、一見、より複雑なストーリー仕立てに見えて、語りの構造自体は極端に単純であるという点を話題にしたい。
陣内敦 作 |
弟の「ぼく」が七つの時に母親が死に、父親が「世界一嫌な女と再婚」したという。そして「ぼく」はその継母から「木の根元の汚い蛇に」、お姉さんのメイズ リーは「海の鯖に」変えられる。「毎土曜の正午に/鯖がぼくのところにやってきます/お姉さんはぼくの汚い頭を持ち上げ/膝の上に載せて/銀の櫛で髪を梳き/海水で洗ってくれるのです」と、不思議な姉弟愛の行為が語られる。続くスタンザでは、「木の根元にいるときに/ぼくは七人の騎士を殺しました/もうお父さんとも思わないから/八番目に死ぬのはあなたでしょう」と、蛇にされた子供が父親を殺すと脅している。脅された父親が「汚い蛇よ 歌をうたえ/昔うたったあの歌を」と、何とか懐柔しようとするが、蛇は「あなたにうたったあの歌は/もう二度とうたいません」と、昔の親子関係に戻ることを拒否する。そして再び蛇は、「ぼくが七つのときでした」から始まり、「八番目に死ぬのはあなたでしょう」までの四つのスタンザをそっくりそのまま繰返す。ようやく事態を察知した父親は妻を呼びにやり、息子と娘はどうしたと糾弾し、言い逃れを許さない。そこで継母は、銀の杖で蛇を三回打って人間の姿に戻し、次いで、角笛を鋭く吹いて海の魚を呼び寄せるが、鯖だけが近寄らず、「こんなにひどい姿にして/もう二度とこんなことはさせないわ」と、姉の方は元の姿に戻ることを拒否するのであった。その後、父親は子供らの継母を捕まえて、森で火あぶりにしたという。
全体で15スタンザの内、半分強の8スタンザがそっくり繰返されているという、物語の構成としてはあまり上首尾とは言い難い出来栄えであることは否定できまい。更に、その繰返される中身が別の歌と極めて似ていることに直ちに気付くのである。この歌(Child 36)の一つ前「アリスン・グロス」("Alison Gross", Child 35)はすでに第51話で紹介しているが、そこでは、アリスン・グロスという「北の国で一番醜い女」が「僕」を誘って恋人にしようとする。言うことを聞かない 「僕」は、木のまわりを這う醜いヘビに変えられる。その「僕」のところに、姉のメイズリーが土曜の夜ごとにやってきて、「僕の頭を膝にのせ/銀のたらいと銀の櫛で僕の髪をすいたんだ」とうたわれる。その行為と姉に対する反発の台詞が、冒頭の「醜い女」に対するものとそっくり同じことから、「もしもおまえが 恋人になってくれるなら/すてきなものを たくさんあげるわ」と言って「僕」を誘惑しようとする女が、実は姉のメイズリーであって、「バラッドで数多くうたわれる『近親相姦』というタブーを魔女物語に仕立て損なった(!!!)大変興味深い出来栄えを示している作品なのである」と、わたしは結論着けた。今回の歌に姉弟愛以上のものを想像する可能性は見いだせない。むしろここで指摘したいことは、複数の作品でまったく同一ないし類似の内容、表現に多々出くわすという事実である。詳細は次回に例証するが、この現象は、一個人の作品ではなくて(しかも、吟遊詩人のようなプロの伝承者ではなくて)無名の民衆によって伝承される中でしばしば起こりうることなのである。AとBという二つの作品に類似点があったとして、どちらがどちらを真似たと特定することは通常できない。作品が収録された時と、作られた(生まれた)時は別であり、後者がどの時代であるかはもはや判らないからである。因みに、今回の「汚い蛇と海の鯖」と「アリスン・グロス」の場合、前者は1802年(ないし、1803年)の記録、後者は1783年に書き取られたものである。チャイルドの頭注では、物語の欠落部分が多いという仮説を前提とした上で、前者がより古いものであると推定しているが、わたしはむしろ、欠落してこのような内容になったというよりも、伝承の担い手の記憶の中で合成されたと考える方が自然であると思いたい。どちらが先行していても構わないが、仮に或る歌い手(作者)が 「アリスン・グロス」という歌を知っていて、今、継母による子供いじめの歌を作ろうとした時、継母と魔女は容易に重なるだろう。しかし、近親相姦的な設定はこの際必要無いとすれば、単純に鯖のまま、髪を梳く行為を語れば済む。出だしから半分以上をただ繰返すという安易さには、そのようなお手軽な借用があったのではないかという方が考え易い。変身させられていた姿から元の人間に戻るというパターンは、両者同じである。「アリスン・グロス」では妖精の女王が三回撫でて再び人間の姿に戻したところ、こちらは継母が銀の杖で三回蛇を打って元に戻す。姉が鯖から人間へ戻ることを拒否するのは、継母への復讐の感情の強調であり、それは、父親に継母を火あぶりさせることで完遂されるのである。厳罰の手段が「火あぶり」であることは、「ラムキン」(Child 93A、第37話参照)その他多くの歌でも登場するものである。
ひとくちアカデミック情報:
チャイルドの頭注:チャイルドは305篇を編纂する上で、各作品の蒐集記録、詳細な版の比較、ヨーロッパ各国における類似の作品の紹介と比較等々、実に詳細な頭注を付けていることは今までもたびたび触れているが、今回の場合も、「汚い蛇と海の鯖」と「ケンピオン」(Child 34、第75話参照)と 「アリスン・グロス」の三者間の類似性を指摘した上で、「汚い蛇と海の鯖」で鯖が「ぼく」の頭を持ち上げて櫛で梳くという行為の不自然さを、土曜の夜ごとに鯖は元の人間の姿に戻ってこの行為をしたという部分が落ちたのだと、更に、最後のところで姉が人間の姿に戻ることを拒んで鯖のままであろうとした点も、何か説明が落ちていると指摘する。物語に欠落が多いことそのものは伝承バラッドの基本的な特色であって、その意味ではチャイルドが指摘するような欠落があると想像することは構わないが、それでもって "['The Laily Worm and the Machrel of the Sea'] is independent of 'Allison Gross,' and has a far more original sound." (ESPB, I, 315) とする結論には何の根拠も説得力も無いのではなかろうか。