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 第19話 「ぶつぶつ地虫がこぼしている」
『アッシャーズ・ウェルの女』("The Wife of Usher’s Well", Child 79A)

「アッシャーズ・ ウェル」とは、どこか泉が湧き出る山里の地名だろうか。今日その場所を特定することは出来ないが、そこに一人の女が住んでいて、三人の丈夫な息子がいたという。その三人が海に乗り出して行った。女は金持ちだったということだから、この場合は、他のバラッドでよくあるような、貧しくて出稼ぎに行ったというこ とではなさそうだ。理由は語られないが、見聞を広めるための他国への旅だろうか。ところが、息子たちが出かけて一週間と経たない内に、三人の息子が行方不 明になったという知らせが届く。乗った船の遭難だろうか。「息子たちがつつがなく/家に戻ってくるまでは/風よ止むな/海に嵐よ起これ」と母親は祈る。船と息子が海風に運ばれて帰って来るようにというのである。

usher s well
From Arthur Rackham, Some British Ballads, 1919.

聖マーティン祭日とは11月11日を指すが、長くて暗い冬の夜、三人の息子が帰ってくる。天国の入口にだけ生える「樺(かば)の木皮の帽子」を被って帰ってきたという。祈りが届いた母親は、侍女たちを促して祝宴の支度をする。その夜、母親は三人の息子の床をのべてやり、自分はマントにくるまって息子たちの寝床のそばで夜を明かす。

鶏が鳴いて夜明けを告げる。すると、兄が弟に「行かねばならぬときがきた」と言う。弟も、「おんどりが鳴きます 夜があけます/ぶつぶつ地虫がこぼしている/ぼくら 土のお墓に帰らないと/とてもひどい目に会わされる」と応えるのである。

三人の息子たちは天国からではなくて、墓場から戻ってきたのである。前話の『眠れぬ墓』(Child 78番)に続くChild 79番のこの歌でも、残された母親の過度な悲しみが死者の安眠を妨げているのである。天国から戻ったというのは、母親の切ない想いであった。ここでも、ロ マンティシズム的願望と感傷を拒絶するリアリズムの精神が対照的に表現されている。夜中に生者を訪れた死者は、必ず夜明けとともに墓に戻ってゆく。これも、バラッドでうたわれる決り事である。最近、日本の霊園墓地などは綺麗に整備されていて、骨壺を収める場所もコンクリートで固められて湿気を防ぎ、昔のように墓を開けると蛆虫がうようよしているということはなくなった。土葬の国で、たとえ石棺であっても遂にはすべてが風化して剥き出しになった中世の墓地跡を目にしたことがあるが、「ぶつぶつ地虫がこぼしている」という言葉には特別の説得力があるように思われる。

この歌はサー・ウォルター・スコット編纂の『スコットランド国境地方の歌』(1802)で世に紹介されたものであるが、アメリカではジョーン・バエズが"Lady Gay"のタイトルでうたっている[今回の歌の箱でこれをうたうHedy West (1938 - 2005)はバエズと同世代で、A. L. Lloydに言わせれば、フォーク・リバイバル時代最高のアメリカ女性歌手であった]。これはアメリカ・アパラチア山岳地帯で蒐集された歌のタイトルで、アメリカに渡ったチャイルド・バラッドのタイトルが変化し、歌詞の内容も段々と変わっていったものも多いことも了解しておく必要がある。

ひとくちアカデミック情報アパラチア山岳地帯: 20世紀に入って、アメリカに渡ったチャイルド・バラッドの蒐集に乗り出したのはセシル・シャープ(Cecil Sharp, 1859-1924)で あった。時あたかも第一次世界大戦最中の1916年から18年にかけて、ノースキャロライナ、サウスキャロライナ、テネシー、ヴァージニア、ウェストヴァージニア、ケンタッキー、アラバマ、ジョージアの各州にまたがる南アパラチア山岳地帯に入ったシャープは、イギリスからの移民たちによってうたい継がれていた伝承の歌を記録し、1917年に『南アパラチア山岳地帯に残るイギリス・フォークソング—122のソングとバラッドと323曲』(English Folk Songs from the Southern Appalachians, Comprising 122 Songs and Ballads and 323 Tunes)を出版した。これは現在では絶版であるが、その後1932年にこの蒐集活動に同行したモード・カーペイレイス(Maud Karpeles)によって「274のソングとバラッドと968曲」のものに改訂して出版され、今日まで再版が続いている。シャープは、「バラッドをうたってくれと頼んでも通じなかった。彼らはラブ・ソングと言っていたのだ」という面白いエピソードを紹介しているが、さすがにロビン・フッド・バラッドのような長篇はこのような純粋な口承地域には伝わっていない。ちなみに、2,000年サンダンス映画祭特別審査員賞を受賞した『歌追い人』(Song Catcher)は、 このアパラチア山岳地帯でのバラッド蒐集活動を感動のヒューマン・ラブ・ストーリーに仕立てたもので、「バーバラ・アラン」("Bonny Barbara Allan", Child 84)の美しい歌で始まり、貧しい暮らしの中で喜びや悲しみをうたいながら生きてきたアイルランドやスコットランドからの移民の人々の伝承歌が魂を揺さぶる。



コメント   

0 # コカママ 2016年01月16日 11:40
なるほど、息子たちが墓場から戻 って来ているのは「ロマンティシ ズム的願望と感傷を拒絶するリア リズムの精神」なんですね。しか し、天国でも地獄でもどこからで もいいから会いに来てほしいとい う「母親の切実な願い」も、なか なかリアルに迫ってきましたよ。 リアリズムの余談です。子どもの 頃、戦時中に土葬した親族の墓か ら遺骨を引き上げる作業を見たこ とがあります。人足さんたちが、 立ってすっぽり隠...
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