第21話 ヨセフの嫉妬
『チェリーツリー・キャロル』("The Cherry-Tree Carol", Child 54A)
有名なクリスマス・キャロルで、誕生前のイエスが母マリアのお腹の中から奇跡を起こす話である。「ヨセフがマリアと結婚したとき/ヨセフはすでに老人でした」と、ヨセフの老齢が強調されるが、『新約聖書』にはそのようなことは書かれていない。その二人が果樹園を散歩していると、チェリーとスグリがたわわに実っていた。
陣内敦作 |
マリアが「ヨセフ チェリーをひとつもいでください/お腹(なか)に赤ん坊がいますから」とお願いすると、ヨセフは冷たく大声で「おまえに子供を孕ませた男に/もいでもらえばいいだろう」と応えたというから驚きである。ここで一応、二人の結婚の経緯を確認しておこう。「マタイによる福音書」によれば、ヨセフと婚約していたマリアは、結婚前に聖霊によって身ごもる。そのことが公になることを嫌ったヨセフは、密かに婚約を解消しようと考える。すると、主の使いが夢に現れて、「心配しないで結婚するがいい。マリアが身ごもったのは聖霊によるのであり、生まれ出る男の子はやがて人々を罪から救う者となるのだ」と告げられる。ヨセフは神のお告げ通りにマリアを妻とし、子が生まれるまでマリアと交わることはなかったと書かれている。というわけで、イエスが処女マリアから生まれた根拠となるわけで、ヨセフが「おまえに子供を孕ませた男」と言ったのは、「マタイによる福音書」によれば聖霊ということになる。
ヨセフがこのように荒々しく言うと、マリアのお腹の赤ん坊が「お母さんの手が届くよう/いちばん高い木よ たわめ」と言う。その通りにチェリーの木がマリアの手元に届くと、ヨセフは「おまえに悪いことを言ってしまった/でもマリア 元気を出して/悲しい顔はやめてくれ」と謝る。ということは、ヨセフは、マリアを孕ませた者への嫉妬から思わず出た言葉だったことが明らかになる。その後の話は、生まれた赤ん坊が「この世の先」を予言するという流れである。
この歌の中心的典拠は「偽マタイ伝」第20章である。そこでは、マリアとヨセフがエジプトへの旅の途中で、灼熱の砂漠の暑さに疲れたマリアがヤシの木の下に休んでいた時、頭上のヤシの実を取って頂戴とヨセフにお願いする。ヨセフは「あんな高いところの実が取れると思うのか。ヤシの実を食べたいなんて呑気なことをぬかしているが、こっちは水にありつきたいのだ」と悪態をつく。すると、マリアの胸に抱かれていたイエスが「ヤシの木よ たわめ」と言って奇跡を起こす、云々という話である。「おまえに子供を孕ませた男に/もいでもらえばいいだろう」というような際どいセリフは、中世の宗教劇(=奇跡劇、聖史劇ともいう)などに出てくる。マリアの処女懐妊など、本当は民衆にとっては面白くもない話で、建前ではなくて本音のところでキリスト教は受けとめられていたと述べることは、神に対する冒涜だろうか。 民衆の生き生きとした息遣いが伝わってくるようなクリスマス・キャロルである。
ひとくちアカデミック情報: 「偽マタイ伝」: 『新約聖書』にはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる四つの福音書があるが、初期キリスト教の正典から異端として排除された文章を『新約外典』と言い、 「偽マタイ伝」もその一部。聖母マリア誕生とイエス・キリストの誕生から幼年時代についてマタイによって書かれたヘブライ語の書を、聖ヒエロニモ (Saint Jerome, 347?-420?)がラテン語に翻訳したもの。ただし、その翻訳者については異説もある。
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